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土地が狭いことから、墓所と火葬場がなかった軍艦島。しかし、写真には明らかに十字架をかたどった施設が写っています。果たして、この施設はキリスト教徒専用の霊安所と言われている施設なのか。歴史とともに解説します。
軍艦島には墓所と火葬場はありませんでした。土地が狭い軍艦島では、建物が密集しているため葬煙が島内に回るのを避けて、火葬場は軍艦島から北方700mの中ノ島に造られました。しかし、霊安所は島内にあり、島の北端にある病院と隔離病棟および古河に囲まれたほんの小さなスペースに今も当時の施設が残っています。
霊安所は、主に病院で亡くなった人を中島の火葬場へ運ぶまでの間安置する場所でした。操業時に子ども時代を過ごした元島民の話によると、霊安所は近づいてはいけないエリアだったと言います。
閉山後の1983年に軍艦島の特集を組んだ西日本新聞の記事『光と陰〜軍艦島探訪〜』第6回に、霊安所付近を撮影した写真が掲載されました。写真には、通常の霊安所とは別に、正面には大きな十字形の彫り抜きがある構造物が写っています。
十字形といえば真っ先にキリスト教が思い浮かびます。この霊安所は、キリスト教信者のためのものだったのでしょうか?
軍艦島には神社と寺院はありましたが、教会堂は施設としてはありませんでした。しかし、長崎県は県民の20人に1人がカトリック信者の、国内でも有数のカトリック信者が多い地域。実際、長崎県は至るところに墓地があります。特に長崎の墓地は、墓標の文字を金色に塗るので、目立ちます。そのため、軍艦島のカトリック信者も部屋を祈りの場にし、お祈りを捧げていたようです。十字架をまとった施設は、キリスト教徒専用の霊安所だと考えられています。
今のところ、元島民の聞き取りから施設がキリスト教徒専用の霊安所だった話は聞かれません。それどころか、ほとんどの人がこの存在すら覚えていないのが実情。西日本新聞の記事でも、その施設に関しては特に触れられていません。
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※平成23年度~平成30年度の上陸実績