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操業時の軍艦島は、島内をコンクリート建築物や人工地盤に囲まれていたため、緑が多くありませんでした。植物を増やすために、島民はコンクリート・アパートの屋上に植物など緑を運び、「屋上庭園」を作ります。
軍艦島はコンクリート製の島のため、自然の土や緑のある場所は限られていました。そのため人工物で固められた「緑なき島」と呼ばれます。島民は、狭い敷地を有効活用するために緑を増やそうと、屋上に農園や田を作り農作物を育てていました。
1910年、建て替え前の旧14号棟に日本初の屋上庭園ができあがります。以降、建築されたほとんどの建物に屋上庭園が造られていきました。1950年代に入り、炭鉱も全国規模で最盛期を迎えます。同時期、国内で拡大していた緑化運動の影響を受け、1966年に大正時代建設の日給社宅の屋上に「青空農園」ができます。
元々屋上庭園は、教育のための青空農園として造られたもの。コンクリートの島で育った子どもたちは、実際の畑や田んぼを知らなかったためです。
屋上庭園の土壌には、対岸の野母半島などから持ち込まれ、子どもたちの手により運ばれました。先生の指導の元、はじめての農園が完成します。秋には収穫祭が開かれ、子どもたちは、自分たちで作った野菜をその場で収穫し、食べていました。
翌年には水田も造られますが、周囲を海に囲まれ、潮風が吹きつける島の屋上で育てられたものですから、どれも生育は良くはなかったようです。野菜の収穫は2回が限度でした。
日給社宅の屋上は、水を張れるような構造ではなかったため、階段下の居室へ水漏れを起こすこともありました。結果、屋上農園は閉鎖されてしまいます。しかし、日給社宅の屋上は閉山まで花壇や屋上遊園地に使われ、島民の憩いの場に活用されます。
今でこそ良く聞く「屋上緑化」という言葉。軍艦島では、子どもたちの教育を視野に入れた取り組みとして何十年も前から実施されていたのです。
海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績