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小菅修船場は、1868年に完成した現存最古の西洋式ドックで、巻上小屋は現存最古の洋風赤レンガ建造物でもあります。
さらに、近代化産業遺産としての世界遺産暫定候補、1969年に国の指定重要史跡に指定、社団法人日本機械学会が認定した最初の機械遺産となりました。2015年には「明治日本の産業革命遺産_製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されます。
小菅修船場は、長崎市街のグラバー園から南に約1.5km、細く食い込んだ入江に造られました。薩摩藩の小松清廉や五代友厚、トーマス・グラバーの共同で完成した修船場は、幕末から明治初頭にかけて各藩の軍艦の修理などで活躍します。1869年、明治政府が買収。平野富二を所長に迎え、長崎製鉄所の付属施設となりました。
1884年に、三菱の経営下に入ってからは対岸の造船所(現三菱重工長崎造船所)に押され、徐々に役割を終えました。
最大の特徴は、船をボイラー型蒸気機関の力で曳き揚げるために設置されたレール上の船を載せる台。そろばんのように見えたことから、通称「そろばんドック」とも言われています。
ドックには後付けの日本のバイヤーと船台が残っていますが、創業当時のワイヤーは中央に一本だけでつながっていませんでした。細かに寸断され、必要に応じて付け足したり取り外したりして使う構造。細長い入江を利用して満潮時に海中に沈めた船台に船を乗せ、干潮時にドックに引き上げて作業が行われました。
両岸の護岸は、かつて軍艦島の堤防にも使われた天草石で、現在も当時のまま残存しています。また、巻上小屋の外壁には、幕末から明治初期の短い期間にだけ長崎県で作られたこんにゃくレンガを使用しています。赤煉瓦は原子爆弾の爆風にも耐え、100年以上の風雪に磨かれた、他には例のないもの。
そして小屋の中には、イギリス製の歯車と木製の蒸気機関、ボイラーが残っています。ボイラーは当初歯車の反対側にありましたが、1904年に現在の位置へ新しいものが設置されました。
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※平成23年度~平成30年度の上陸実績