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軍艦島の周辺には、日本の近代化を支えた石炭産業が数カ所存在しました。また、軍艦島に関わった人物や歴史を紹介した資料の展示施設が建てられています。ここでは、軍艦島に関連する施設やスポットを紹介します。
2001年の閉山まで、九州に最後まで残った「池島炭鉱」。島全体は廃墟化が進み、現在は「第二の軍艦島」とも呼ばれています。
エネルギー供給の主体が石炭から石油に移る「エネルギー革命」と、安価な外国炭に押され、国内の炭鉱は次々と閉山に追い込まれていきました。そんな中、池島炭鉱は炭質・採掘条件ともに優れた国内有数の炭鉱として最後まで生き残りを図り操業を続けました。
軍艦島に隣接する高島には、軍艦島とともに世界文化遺産に登録された「高島炭鉱」があります。高島炭鉱は、日本初の蒸気機関を導入。イギリス人技師を雇い入れて堅抗を掘り、着炭を成功させます。技術は他の炭鉱にも伝えられ、日本の石炭産業を飛躍的に進歩させました。
端島のモデルになったとされる無人島「中ノ島」。中ノ島も炭鉱の島でしたが、道の湧き水が多く1893年に操業を停止し、炭鉱生命は短命でした。
閉山以降、軍艦島の姉妹島的な存在として海浜レジャーの拠点になり、1962年には全国的に広がった緑化運動の流れで島内が整備され「中ノ島水上公園」が完成します。
また、中島は軍艦島の火葬場の役割を担うことになります。住宅が密集しているため排煙の匂いを考慮して中ノ島に施設を造ったと言われています。
飛島炭鉱は、長崎県松浦市の飛島にあった炭鉱。日本で一番小さな炭鉱と言われています。1950年に開坑、1967年に飛島鉱業(株)を設立して炭鉱事業の再建を目指しますが、1969年に閉山しました。ホッパー跡、ボタ山、炭鉱住宅跡が残り、住宅跡は一部倉庫などに利用されています。また、コンベアが設置された海にせり出した桟橋が残っています。
グラバー邸は、長崎県長崎市南山手町にある観光施設。1859年の長崎開港後に圏内に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地部分に、長崎市内に残されていた歴史的建造物を移築。今では野外博物館のような観光名所となっています。
三菱造船所史料館は、1985年10月に史料館として開設。三菱重工業(株)長崎造船所を「日本の近代化に果たした役割を永く後世に残そう」と、鋳物製造のための木型を製作する工場として建設された建物が使われています。
館内は13コーナーにわかれ、900点余りの史料を展示しています。内容は、1857年に長崎造船所前身の長崎鎔鉄所建設が着手されたときから現在まで。また、日本最古の工作機械などの展示を通して、長崎造船所の歴史的変遷や造船技術の発展を紹介し、一般公開されています。
小菅修船場は、1868年に完成した現存最古の西洋式ドック。巻上小屋は、現存最古の洋風赤レンガ建造物でもあります。長崎市街のグラバー園から南に約1.5km、細く食い込んだ入江に造られました。薩摩藩の小松清廉や五代友厚、トーマス・グラバーの共同で完成した修船場は、幕末から明治初頭にかけて各藩の軍艦の修理などで活躍します。
1869年、明治政府が買収。平野富二を所長に迎え、長崎製鉄所の付属施設となりました。1884年に、三菱の経営下に入ってからは対岸の現・三菱重工長崎造船所に押され、徐々に役目を終えました。
2016年7月16日にリニューアルオープン。資料館では、軍艦島の世界遺産としての価値や島の模型、当時の人々の生活を知ることができる写真パネル、島内で実際に使用されていた実物品などの展示や、軍艦島映像の4K放映も行っています。
その名の通り、デジタル技術を使用した新感覚のミュージアム。軍艦島の今と昔を、まるで実際にそこにいるかのように体験できるのが特徴です。
日本初のホロレンズを使用した体験型ゲーム「軍艦島のガンショーくん~かがやくブラッグダイヤモンドを探せ~」も目玉の一つ。ここでしか体験できない貴重な展示物が満載のミュージアムです。
海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績