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軍艦島ミステリー1 強制連行は本当にあった?

「一に高島、二に端島、三に崎戸の鬼が島」という言葉をご存知でしょうか。戦中に大陸から連れてこられた中国人や朝鮮人労働者が、その過酷な労働と海に隔絶された状況を指して言い表した言葉。軍艦島で起きたとされる「強制連行」は、真実なのか解説します。

強制連行についての噂を紹介

長崎市内の「長崎平和資料館」には、軍艦島で労働をした朝鮮人の思い出の手記が掲示されています。手記では、日本軍が家に来て、連れていかれるときの様子を「それはあたかも強制連行のようだった」と記されています。しかし、連行された本人は、強制連行ではなく「徴用」だったと知っていたケースもあるとも考えられます。

また、捕虜扱いを受けた中国人は、南部の堤防沿いに住まわされ、朝鮮人は、戦後隔離病棟が立つ位置に収容されたと表現もあります。離された理由は、中国人と朝鮮人の結束を回避するため。しかし、現在の45号棟付近、中国人がいた場所に隣接して立つ30号棟に収容された証言もあるので、不確かな情報とされています。

実際の話…

実際、1939年から朝鮮人労働者の集団移入が本格化し、最重労働の採鉱夫のほとんどが朝鮮人に置き換えられます。1943年からは、中国人捕虜の強制労働が開始されました。過酷な労働に耐えかねて「島抜け」をし、海を泳いで対岸の野母半島を目指しながら亡くなってしまった人々の慰霊碑も軍艦島が見える野母半島に残されています。

中国人労働者やその遺族らは、三菱重工などを相手に損害賠償を求めて訴訟を起こします。長崎地裁は、2007年3月27日に賠償請求自体は請求権の期限(20年)が経過していると棄却したものの、強制連行・強制労働の不法行為の事実については認定しました。

しかし、実際に働いていた人々は良好な関係を築けており、歴史的事実はありません。戦後里帰りを希望した朝鮮人は、基本的には帰れる状態でしたが、島に残った人も。南部商店街の朝鮮人専用遊郭「吉田」は、戦後も営業していました。そのため、歴史的事実は無いと言えます。

海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!

※平成23年度~平成30年度の上陸実績

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