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グラバー邸は、長崎市南山手町にある観光施設。1859年の長崎開港後、長崎へ来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、市内に残っていた歴史的建造物を移築し、野外博物館の役割を担っています。150年以上、同じ場所に建ち続けている貴重な建物です。
3棟は国の指定重要文化財に指定され、旧グラバー住宅は、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つにも登録されています。
グラバー邸の建設を手がけたのは、天草出身の棟梁、小山秀。小山は、建設を手がけた後に軍艦島の開発にも関わりました。西洋建築のスタイルを取り入れながらも、軒下の蛇腹が過大である点など、様式的に未熟な点が多く残ります。また、小屋組は和小屋とするなど、和風の要素が強く、瓦屋根が乗った日本の初期洋風建築の特色でした。
一方、6棟は明治中期ごろ、長崎市内に建てられた洋風建築をグラバー園へ移築復元したもの。旧ウォーカー住宅、フリーメイソン・ロッジの門、旧三菱第2ドックハウス、旧長崎高商表門衛所、旧長崎地方裁判所長官舎、旧スチイル記念学校、旧自由亭と建物の用途は幅広いものでした。
軍艦島と深く関わりがあったグラバー。本人が手がけたものは、長崎県に数多く残され、中には「国内初」の施設や品物まで。代表的なものは、国内初の蒸気機関車「アイアンデューク」、国内初の様式炭鉱技術「高島炭鉱」、国内初の「様式ドック」、国内初のビール「キリンビール」、そして国内初の「アスファルト道路」など多数。
グラバーの死後は、同人の庶子で跡継ぎの倉場富三郎が家主となります。しかし1939年、三菱重工業長崎造船所がグラバー邸を取得。太平洋戦争終結後は、一時接収されて進駐軍の宿舎となったこともあります。1957年、造船所の創業100周年を記念して、三菱造船から長崎市に寄付されました。1967年に建物の修理が完了し、明治20年代の姿に復元されています。
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※平成23年度~平成30年度の上陸実績