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狭い土地の軍艦島の中には、端島神社をはじめとした軍艦島の公共施設がありました。島民は、炭鉱施設以外のわずかな敷地でも、有意義な生活を送っていたのです。
高校と墓地以外、生活に必要な施設は揃っていた軍艦島。
公共施設、病院、小中学校、保育園、プール、寺社、旅館、パチンコホール、麻雀店、生協販売店、個人商店、理容・美容室と、さまざまな施設が充実しています。
単独で成立している病院や学校などの施設を除いて、共有施設のほとんどが鉱員社宅の建物に組み込まれていました。
軍艦島の閉山時の総面積は6万3千m²ですが、約2万5千m²は炭鉱施設の敷地。残り約3万8千m²の中に、最盛期は約5300人の島民が住んでいました。軍艦島は、狭い敷地の中に多くの施設がひしめき合った、「ナノシティ」になったのです。
「長崎県長崎大浦警察署高島町端島派出所」には、2人の駐在が常駐していました。ですが、島民同士の仲は良いため、軍艦島では凶悪な刑事事件はほとんど起きなかったと言います。
「端島郵便局」は、公衆電話の役割を果たします。当時の軍艦島には、各家庭用の直通電話がありません。料金が安くなる夜には、電話の前に長蛇の列ができました。
軍艦島では、多くの個人商店が立ち並びます。人口の最盛期は、出店が抽選で選ばれるほど。さらに、住宅棟地域の中で最もビルが密集している場所は「端島銀座」と呼ばれ、一大商店街を形成しました。
旅館「清風荘」は、主に行商の来島者などが利用しました。また、職員クラブハウスは、職員の宿泊施設に使われた建物。銘木が使われた高級な内装は、職員と鉱員の格差を物語ります。
島には囲碁や将棋、謡曲などさまざまな娯楽施設がありましたが、一番の人気は映画館。さらに、パチンコやマージャンなどを楽しむ遊戯施設や、会社運営のビリヤード場もありました。どの施設も癒しを求める島民であふれ、笑い声に満ちていました。
島内唯一の総合病院である「端島病院」は、公立ではなく会社が運営していました。主に、怪我をした鉱員の外科的処置や珪肺の治療がされます。さらに、天然痘や赤痢など、隔離が必要な患者を収容する「隔離病棟」がその横に設けられました。
海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績