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かつては炭鉱マンをはじめ、多くの人が住んでいた軍艦島。無人島と化した現在、島内にまつわるいくつかのミステリーが存在します。
軍艦島には、中国人や朝鮮人労働者が戦中に大陸から無理矢理連れてこられた「強制連行」があったのでは無いかと噂があります。実際、島内では過酷な労働と収容があったと長崎地裁は認める見解を示しました。
しかし、戦後も朝鮮人専用の遊郭があったことなどから、実際に働いていた人々は良好な関係を築けており、歴史的事実はありません。
軍艦島には墓所と火葬場はありませんでした。土地が狭い軍艦島では、建物が密集しているため葬煙が島内に回るのを避けて、火葬場は軍艦島から北方700mの中ノ島に造られました。しかし、霊安所は島内にあり、キリスト教専用の霊安所だったのではと言われています。
閉山後の1983年に軍艦島の特集を組んだ西日本新聞の記事『光と陰〜軍艦島探訪〜』第6回に、霊安所付近を撮影した写真が掲載されました。写真には、通常の霊安所とは別に、正面には大きな十字形の彫り抜きがある構造物が写っています。
長崎県は県民の20人に1人がカトリック信者の、国内でも有数のカトリック信者が多い地域。軍艦島のカトリック信者も部屋を祈りの場にし、お祈りを捧げていたようです。
1957年に売春防止法が施行されるまで、軍艦島の歴史の中には、常に遊郭の存在があったとされます。軍艦島には3軒の遊郭がありました。「本田」「森本」は日本人用の遊郭、「吉田」は朝鮮人専用でした。しかし、遊郭と言っても軍艦島では、堀で囲まれた廓上のものではありません。単体の店舗、すなわち遊女屋。元島民の話では、誰もが遊郭の言葉を使ったと言います。
しかし、常連と次第に顔なじみになって公娼としての性質が失われることから、人気は落ちていきます。若い人は、お金をためて長崎まで行くことが増えたといいます。
1974年の炭鉱閉山から40年以上が経つ軍艦島。老朽化も進み、崩壊が進んでいます。そのため、現在は世界有数の「廃墟」となりました。建物の激しい老朽化により安全面を確保できないため、軍艦島への一般人の立ち入りは禁止されました。
2016年、所有・管理を行う長崎市は老朽化が進む端島炭坑を、国や長崎県の補助を受けつつ、約108億円をかけて整備する方針を明らかに。
しかし廃墟の軍艦島を完全かつ綺麗に修復すると、その価値が損なわれることに。つまり、軍艦島は廃墟のまま維持する、むずかしい修復と保存が求められているのです。
軍艦島は、心霊現象があるスポットとしても知られています。原因は、軍艦島の廃墟化し、人ひとり住んでいないことから連想される可能性が高いため。
例えば、2013年から公開されている島内のストリートビューの中には、心霊写真が確認することができます。いくつもの場所に奇妙な手が移り込み、手の指が何本もはっきりと見えるとSNSでも話題を呼びました。
海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績