~世界遺産を巡る~ 軍艦島ガイド【完全版】

メニューボタン
多くの人を惹きつける軍艦島の魅力をすべて紹介

軍艦島(端島)は、長崎県にあるかつて海底炭鉱があった島。日本の近代化を支えた産業遺産として注目を集め、2015年には世界文化遺産の一つに登録されました。現在では、多くの観光客が軍艦島上陸ツアーに参加し、「廃墟の街」を訪れています。

軍艦島の歴史は1810年の石炭発見による採炭から始まります。閉山まで最先端技術のいち早い導入と裕福な生活、その反面、外界から物資などの供給がない限り、機能が停止するという両側面を持ち合わせていました。この島は、人口の多さとともに、まさに現代の大都市に通じる超近未来都市だったのです。

そんな特殊な生活環境を生み出した軍艦島について、徹底的に調査し、実際に現地に趣きこの目で確かめてきました。当サイトは、軍艦島の歴史や島民の生活、世界遺産に登録された理由などを紹介します。

取材協力

軍艦島デジタルミュージアム

軍艦島デジタルミュージアム

軍艦島デジタルミュージアムの公式HP

当サイトを作るにあたって取材協力・情報提供をいただいたのは、軍艦島デジタルミュージアムさん。

軍艦島と日本の産業革命期を後世に伝えるために様々な試みや活動を行なっており、中でも最新のデジタル技術を用いて軍艦島の今と昔を紹介する展示は、ここでしか体験できない貴重なものです。

軍艦島とは?唯一無二の存在

軍艦島の俯瞰写真
画像引用元:長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」
https://www.at-nagasaki.jp/spot/51797/

野母半島の北西、長崎港から約18kmの海上にある「軍艦島」。南北約480m、東西約60m、面積は約6.3ha、周囲約1.2km、海抜約47.7mの小さな島です。

軍艦島では、1810年の佐賀藩による石炭発見以来、細々と採炭が行われていました。その後、1890年の三菱社の買収により、本格的な炭鉱施設として採掘が開始。以降、閉山まで良質の石炭を排出、八幡製鉄所などの原料炭として供給されます。

軍艦島と呼ばれる由来

戦艦「土佐」
戦艦「土佐」画像引用元:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/端島_(長崎県)
現在の軍艦島
現在の軍艦島

大正時代に鉄筋コンクリートのアパートが島内に建設された際、1921年に長崎県の「長崎日日新聞」が端島を紹介。高い護岸で囲まれ、煙突から煙を吐く外観が、当時建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ているとして、記事のなかで「軍艦島」というよび名を使ったことがはじまりです。正式には「端島」と言います。

明治日本の産業革命期を支えた軍艦島

石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年には約5,300人が住んでいました。当時の人口密度はなんと世界一。東京の人口密度の9倍以上とも言われ、未だに破られていません。

軍艦島は、まさに日本の近代化の中心的役割を果たします。しかし、国のエネルギー政策の方向転換のあおりを受け1974年1月に閉山。同年4月に島民が一斉退去し、無人島になりました。

その後、安全面を確保できないため、一般人の島への立ち入りは禁止に。しかし、2008年に長崎市が条例を制定し、見学道路が整備され、2009年から一部エリアに限り見学ができるようになったのです。

2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録されました。現在は、生きた博物館の役割を担い、観光客などに歴史を伝えています。

軍艦島の立ち入り禁止区域はもう見られない?

軍艦島クイズ

軍艦島の上陸ツアーで回れるのは10分の1にも満たないエリア。そのほとんどが立ち入り禁止区域となっています(2019年現在)。

そう言われるとと余計に立ち入り禁止区域を見たい!と思う人も多いのではないでしょうか?

そんなあなたにおすすめなのが、軍艦島デジタルミュージアム。最新のデジタル技術を駆使して立ち入り禁止区域を見て回ることができるのです!

今では見られない軍艦島の光景が目の前に広がる貴重な体験をしてきました。

軍艦島の歴史

明治時代の軍艦島
明治時代の軍艦島画像引用元:長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」
https://www.at-nagasaki.jp/gunkan/museum/

端島炭坑の歴史区分は、石炭発見の1810年~2015年の世界文化遺産登録、現在まで大まかに4つに分かれます。ここでは、軍艦島の歴史を4つの時系列ごとに紹介します。

  1. はじまり(江戸時代~明治時代)
  2. 最盛期(大正時代~昭和39年頃)
  3. 衰退期(昭和40年頃~昭和49年)
  4. 現在(2001年〜)

軍艦島の歴史について
もっと詳しく

黒いダイヤを採掘した炭鉱

炭鉱員
写真提供:軍艦島デジタルミュージアム
https://www.gunkanjima-museum.jp/

佐賀藩による石炭の発見から、1890年に隣接する「高島」と同じく三菱の経営に移り、軍艦島は、本格的な近代炭坑としての開発が進められていきます。

明治期から1974年まで約80年操業した海上炭鉱は、周囲を取り巻く海底の石炭採掘の拠点として稼働。端島炭坑の出炭量は、1897年には高島炭坑を抜くまでに成長します。

また、採掘される石炭は良質であったため、主に八幡製鉄所に製鉄用原料炭として供給されました。

第二次産業革命で幕を開けた20世紀の中で、「黒いダイヤ」とまでいわれた石炭の果たした役割はあまりにも大きいもの。石炭産業は、まさに今日の日本を根底から支えてきた一大原料産業でした。

この章では、端島炭鉱の役割、そもそも石炭・炭鉱とはどのようなものなのか、歴史とともに紹介します。

軍艦島の炭鉱について
もっと詳しく

軍艦島の特異な構造

元来軍艦島は、大きな岩礁と周囲に点在する瀬からなる小さな島でした。その後、炭鉱の開発や人口増加に伴い、人工地盤による拡張工事が進められました。

さらに、軍艦島はその地理的な条件から、台風や波浪など、さまざまな過酷な自然条件との闘いを強いられます。

東シナ海に囲まれた軍艦島。台風が襲いかかった際、特に外海に面した住宅棟側への高波は想像を絶する猛威となっていました。対策を図るため、島の拡張と合わせて強固な護岸、擁壁、桟橋などが造られました。

また、島民が生活する鉄筋コンクリートの住宅棟群にも台風や波浪対策を施しており、 これらの工夫が、他に例を見ない島の独特な景観を創り出しました。「軍艦島」と呼ばれた島の外観は、長年にわたる海との壮絶な闘いが造らせたものなのです。

この章では、特異な軍艦島の構造について紹介します。

軍艦島の構造について
もっと詳しく

島民の生活

一冬の団欒
写真提供:軍艦島デジタルミュージアム
https://www.gunkanjima-museum.jp/

軍艦島では、石炭の出炭量の増加に比例するように、島の人口も増えていきました。炭鉱労働者と家族、三菱から派遣される社員などの人口も増加し、最盛期には島内に約5,300人が暮らしていたのです。

三菱の私有地になった軍艦島では、住居は社宅や寮の扱いでした。そのため、島民は高収入が約束されている上に、生活費が安く済んだことから、裕福な暮らしを楽しみます。

例えば、昭和30年代の家電ブームの時は、既に100%電化生活と恵まれた生活を送っていました。また、それを証明するのがテレビの普及率。当時のテレビの販売価格は3〜6万円台(同時期の平均月収の約1〜2カ月分)にも関わらず、1958年には、ほぼ100%に到達しました。炭鉱の給料が高額だったことの顕著な現れといえます。

また、 軍艦島には、公共施設、病院、小中学校、旅館、パチンコホール、麻雀店、生協販売店、個人商店など、高校と墓地以外の生活に必要な施設はすべて揃っていました。

軍艦島の閉山時の総面積は6万3千㎡ですが、約2万5千㎡は炭鉱施設の敷地。残り約3万8千㎡の中に、最盛期は約5300人の島民が住んでいました。軍艦島は、狭い敷地の中に多くの施設がひしめき合った「ナノシティ」と化します。

この章では、炭鉱での労働がきつかった変わりに、豊かであり特殊な暮らしを送っていた島民の生活について紹介します。

軍艦島での生活について
もっと詳しく

実際の暮らしを体験してみると…

軍艦島のアパートの暮らし

取材協力をいただいた軍艦島デジタルミュージアムさんでは、住居の一室を再現。当時の暮らしを疑似体験することができました。

1950年代後半の生活を再現しており、テレビ・冷蔵庫・スピーカーなど、当時はまだ高価だった家電も確認できます。当時の生活水準が高かったことが伺えますね。

日本の建築史に名を残す建築物

端島が軍艦島と呼ばれる理由は、最大の特徴である外海側に立ち並ぶ住居棟群にあります。

1916年建築の日本最古の鉄筋コンクリート造りのアパートをはじめ、鉄筋コンクリートと日本の木造家屋とを融合した建物、国内最高層のアパート、離島建築ではじめて地下階を設置したビル、建築不毛の時代と言われる第二次世界大戦を挟んだ10年間に建てられた唯一の本格的建築。日本の建築史上に名を残す建物群が、今なお残されています。

しかし、木造や鉄骨造で建設された建物は、雨風・荒波にさらされ続けた上に、防水技術の問題や島の無人化によって急速に劣化。完全に崩壊したもの、もしくは崩壊しそうな建物がほとんどです。

それでも、老朽化によって日々朽ちていく建物群が小さな島に密集する異様な姿は、いつしか廃墟マニアだけではなく、多くの人々の心を惹きつけるようになります。今では日本一有名な廃墟として知られ、廃墟のまま保存するという難しい課題が残されました。

この章では、コンクリートの森を思わせる軍艦島ならではの建物群について紹介します。

軍艦島の建築物について
もっと詳しく

現在の軍艦島の様子は…

30号棟

今回、実際に上陸ツアーに参加し、軍艦島に建つ建築物を見てきました。

65号棟や端島小中学校なども遠目に見ることができますが、一番近くに見ることができるのが日本最古のRCアパート「30号棟」。建設から100年以上経った今でもその姿を残しています。

閉山から45年。貴重な建築物ではありますが、いつまでもこの姿を保っていられるわけではないのも事実です。

軍艦島に関する謎・ミステリー

かつては炭鉱マンをはじめ、多くの人が住んでいた軍艦島。無人島と化した現在、一般見学ができるようになったとはいえ、立ち入り禁止エリアも。そのため多くの謎に包まれている軍艦島には、島内にまつわるいくつかのミステリーが存在します。

軍艦島に遊郭は存在したのか。廃墟と化した島は、崩壊してしまうのか。廃墟マニアを興奮させる心霊写真など、多くの謎は真実がはっきりせず、答えが曖昧なものばかり。

この章では、観光客や軍艦島の周りで噂される謎について解明します。

軍艦島の謎・ミステリー
についてもっと詳しく

軍艦島の関連施設・スポット

軍艦島の周辺には、日本の近代化を支えた石炭産業が数カ所存在しました。また、軍艦島に関わった人物や歴史を紹介した資料の展示施設も建てられています。中には、軍艦島とともに世界文化遺産に登録された建物も。

軍艦島の火葬場の役割を担うことになった「中ノ島」のほか、日本最初の蒸気機関による竪坑である「高島炭坑」は、近接する端島炭坑に引き継がれていきます。

この章では、軍艦島に関連する施設やスポットを紹介します。

軍艦島に関連する観光地
についてもっと詳しく

軍艦島へのクルーズ中にも産業革命遺産が!

三菱造船所

上陸ツアーの船中からも軍艦島の関連施設や産業革命遺産を見ることができます(画像は三菱造船所)。

スタート地点の長崎港付近から女神大橋までの間に、三菱造船所とその関連施設が。外海に出ると、軍艦島とともに世界遺産にも登録された高島や中ノ島など、長崎の歴史を語る上で重要な施設や遺産を見ながら軍艦島へと向かいます。

海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!

※平成23年度~平成30年度の上陸実績

イメージ