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後期 ~衰退期~

戦後~昭和後期の軍艦島

世界最大の人口密度まで増加した軍艦島

軍艦島の人口密度
写真提供:軍艦島デジタルミュージアム
https://www.gunkanjima-museum.jp/

第二次世界大戦後の軍艦島は、端島炭鉱労働組合の結成や労働各法の成立による労働基準が向上したことを受け、繁栄を極めました。組合闘争の結果として賃金が上がり、人口も急速に増加します。

賃金の上昇と同時に炭坑の稼働率は下がり、労働者の余暇が増えていきます。1960年代は、世界最大の人口密度(当時の東京の約9倍)に。これは世界一の記録で、今現在も破られていません。

人口増加の理由として、1945年10月の石炭生産緊急対策要綱による復興資金の供給が上げられます。さらに、1948年のGHQによって輸入砂糖の出炭奨励特配、戦争から労働者が帰還したことなどが人口が増え続けた要因です。

1960年代 炭鉱規模の縮小

炭鉱員
写真提供:軍艦島デジタルミュージアム
https://www.gunkanjima-museum.jp/

軍艦島は、1950年代のエネルギー革命で主要エネルギーの石炭が石油へ移り、石炭の産出量の減少から衰退の一途をたどります。さらに、1962年の「原油の輸入自由化」や1964年の「九片治層坑道の自然発火事件」に伴う最深部の水没が痛手となり、炭鉱の規模が縮小されていきました。

軍艦島には、炭鉱以外の産業がなかったため、人口も急激に減少。採掘現場を失った炭鉱は、新しい炭層を求めて掘り進められますが、硬(石炭以外の残り土)ばかり産出されます。

ですが、端島炭坑は1965年に三ツ瀬区域の新坑が開発され、一時的に持ち直します。人口は減ったものの、機械化・合理化によって生産量も戦時中に迫る水準となりました。特に1957年の海底水道開通で、いつでも真水の風呂に入れるように。さらに、空き部屋となった2戸を1戸に改造するなど、住宅事情は劇的に改善されたのです。

閉山

ドルフィン桟橋
写真提供:軍艦島デジタルミュージアム
https://www.gunkanjima-museum.jp/

しかし時代の流れには勝てず、1972年に採掘終了、1974年1月15日に軍艦島は閉山します。1970年代以降の国のエネルギー政策転換のあおり、採掘現場の遠隔化による採算低下などが要因です。同年4月には閉山時に残っていた約2千人の島民が一斉退去し、無人島に。約100年続いた炭鉱は、終焉を迎えました。

軍艦島の歴史
現代 ~再脚光~へ続く

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※平成23年度~平成30年度の上陸実績

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