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今回、当サイトを制作するにあたり、情報提供と取材協力をいただいた軍艦島コンシェルジュさんの上陸ツアーに参加させていただきました。
ここでは、実際にツアーに参加したレポートを軍艦島の魅力とともにお届けします!
取材協力
軍艦島コンシェルジュ
軍艦島コンシェルジュ
※平成23年度~平成30年度の上陸実績
今回、軍艦島の上陸ツアーに参加させていただいた軍艦島コンシェルジュさん。平均上陸率が94.7%(※)と非常に高いのが大きな特徴です!
実際にツアーに参加させていただくことで、ガイドさんやスタッフさんの丁寧なおもてなしを感じることができました。軍艦島ツアーを検討している方はぜひチェックしてみてくださいね。
軍艦島ツアーに参加するために、発着地となる常盤桟橋へ。
到着すると早速、スタッフさんから上陸パスをいただきました。
軍艦島コンシェルジュの上陸ツアーは午前と午後の2便出ているのですが、今回参加させてもらったのは午後便。13:40に出港とのこと。
乗船まで待っていると、周りが少しにぎやかに。「何だろう?」と思って声のする方を見ると…。
ガンショーくん!!
※「軍艦島のガンショーくん」
軍艦島をモチーフにしたキャラクターで、長崎ではとても人気なんだそうです
事前に色々調べてきていたので、直接ご本人に会えてちょっと感動!
さすが人気者、ツアー参加の皆さんに囲まれて記念撮影に引っ張りだこでした。
と、そうこうしている間に船着き場にクルーズ船が到着しました。
今回乗船させていただくのはこちら!
その名もジュピター号(奥)。なんと200名が乗船可能なクルーザーです!
スタッフさんに聞いたのですが、どうやら特殊な設計により揺れが少なく、船酔い対策がされているとのこと。
(事前に酔い止めは飲んでいたのですが)乗り物酔いしやすい私にとっては、朗報でした!
とはいっても、午後になって波が高くなり、揺れも強くなっているとのこと。まだちょっと心配です。
そしてもう一つの不安が、上陸できるかどうか。
あまりに波が高い場合、軍艦島の近くまでは行けても上陸ができないこともあるのだとか。
しかしそこは、平均上陸率94.7%(※)の軍艦島コンシェルジュ。よほどのことがない限りは上陸できるでしょうと期待!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績
参加者の皆さんが続々と乗船していきます。
この日は平日ということもあり、だいたい130名くらいの方がツアーに参加。土日はほぼ満席となるそうで、改めて軍艦島ツアーの人気に驚きました。
と、そこへガンショーくんが見送りに。
みんなが乗船するその直前までお見送りしてくれました。健気でかわいいですね。
そして、いよいよ私も乗船。今回は二階の窓側席(見晴らし最高!)に座らせていただきました。とても素敵なお席をありがとうございます!
時間になり、いよいよ出港です。
軍艦島ツアーの詳細(午後便)はこんな感じ!
約2時間半のクルーズです。
実は軍艦島へ行く道中にも見どころはたっぷりあるんです。
軍艦島と一緒に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」がずらりと。
そういったものを見れるのもツアーの醍醐味なんです。
ここからは、軍艦島付近までの世界遺産も紹介しながらレポートしていきます。
早速、一つ目の世界遺産「ジャイアントカンチレバークレーン」が右側に!遠目になってしまいましたが、写真の右端にある緑のクレーンです。
わかりやすい画像はこちら。
1909年に作られた日本初の大型カンチレバークレーン。なんと100年以上経った現在も稼動中とのこと!
ジャイアントカンチレバーを過ぎると、三菱長崎造船所が見えてきます。
右の白い建物が「長崎造船所本館」、その手前に見えるのが「第三ドック」(「No.3 DOCK」と書かれた濃い緑の部分が目印)。
産業革命遺産を望みながら、ツアー船はいよいよ外海へ向かっていきます。
こちらの女神大橋がちょうどその境目。橋をくぐったあたりから船の揺れも少し大きくなってきました。
女神大橋をくぐり少しすると、伊王島へ到着。こちらも軍艦島ツアーの発着場となっていて、何名かの参加者が乗船します。
伊王島を出港し、しばらくすると右手に大きな島が見えました。
軍艦島(端島)と同様に日本の産業革命期を支え、明治日本の産業革命遺産にも登録された高島炭鉱(高島)です。
高島を過ぎると見えてくるのは中ノ島。端島や高島と同じく石炭採掘が行われていましたが、その期間は短かったとのこと。
そしてこの写真、お気づきでしょうか?
そう、中ノ島の奥に見えているのは軍艦島。ついにここまで来たのです!
さあ、待ちに待った軍艦島との対面。若干遠目ではありますが、確かに軍艦の形をしています。
途中見てきた高島や中ノ島とは全く違う、まさに異彩を放つ外観。この島の独自の歴史や文化が伺い知れます。
と、ここでスタッフさんから声をかけられ、前方デッキに案内していただけるとのこと!
なんと軍艦島の全景を間近で見られる特別なお時間をいただきました。ありがとうございます!
※前方デッキへ案内いただけるのはプレミアムチケットの特典とのこと
海が荒れているため波や風が強く、船の揺れも強めですが、そんなこと関係ないくらいに素晴らしい景色。写真ではすべてが伝わらないのがもどかしいですが、軍艦島から発せられる威厳を身体全体で感じました。
当日の天候も相まって、曇り空と波しぶきの中に浮かぶ軍艦島。近寄りがたい雰囲気と唯一無二の存在感に魅了させられ、私はしばらく立ち尽くしていました。
一周する中で、軍艦島は様々な姿を見せてくれます。
10分ほど軍艦島を周遊した後、いよいよ上陸です。
14:40、ほぼ定刻通りに軍艦島に到着。
唯一の上陸ポイントとなるドルフィン桟橋へ船が着きます。
ついに上陸という期待で胸が躍ります。
記念すべき、初上陸!
ドルフィン桟橋から島内へ続く途中、昨年(2018年)10月の台風25号の影響で破損・修復した箇所が痛々しく残っています。
島内への通路を進み第1見学広場へ向かいます。
上陸後は、3箇所の見学広場でガイドさんからの説明を聞きつつ見学ができます。
第1見学広場からは、北に3号棟や貯水槽、北東に端島小中学校、65号棟を見ることができます。
全員が到着したところで、ガイドの内田さんより解説が始まります。
丘の上に見えるこちらの建物は、島民の生活を支えた貯水槽とのこと。
軍艦島の生活において一番大変だったのが、水の確保だったらしいです。
初期の頃は、こちらの貯水槽に水を溜めて使用していたようですが、人口の増加と発展に伴い海底を通す海底水道が開設されたとのこと。
日本初の海底水道であり、長崎半島から引っ張ってきていたとのことで、とても驚きました。
続いて、貯水槽の右側に位置するのが3号棟。三菱の幹部社員が住んでいた社員寮とのことです。
軍艦島で働いていた方達は、当時の一般的な職業の人よりも高いお給料をもらっていたのですが、こちらの3号棟に住んでいた方達はさらに倍近いお給料をもらっていたそうです!
当時、長崎の銀行員のお給料が月7万円ほど。軍艦島の炭鉱員は倍以上の15万円、幹部職員は30万円近くのお給料だったそうです。
今の価値に換算すると、炭鉱員は月給50〜70万円、幹部職員は月給100〜130万円ということになります…!
それだけ大変な仕事であったということでもありますね。
3号棟からまた右側、遠くへ目を向けると一際大きな建物が。こちらが、軍艦島唯一の学校だった端島小学校・中学校です。
1〜4階が小学校、5〜7階が中学校という構造になっていました。
ちなみに軍艦島には高校はなく、隣の高島にある高校へ通っていたとのことです。
ここでガイドの内田さんから衝撃的な事実が!
「数年前にここで本日と同じようにガイドをしていましたら、ガシャーン!という音がしたんですね。音がした方を見たら、端島小学校の屋上が崩れていたんです。
現在進行形で老朽化と崩壊が進んでいるのを目の当たりにした瞬間でした」
確かに、屋上の一部が崩れています。
100年を越える建築物が建てられている軍艦島、いつまでもこの状態である訳ではないのだなと、改めて今見ることができた喜びを感じました。
端島小学校の左側に少し見える建物が65号棟(報国寮)。軍艦島で一番大きな建築物であり、総戸数300戸以上の大型住居です。
30号棟と並び、日本の建築史においてとても重要な建築物なのですが、立ち入り禁止区域のため、こうやって遠くから望むことしかできないのです。
コの字型の建物は9階建で、屋上には幼稚園があったそうです。
エレベーターはなかったので、園児は毎朝9階まで階段で登っていたんです。足腰強くなりそうですね!
軍艦島デジタルミュージアムの元島民だったスタッフさんにも聞いたのですが、この65号棟の屋上で野球をやっていたそうです。
ボールを下に落としたら大変なことになりそうですね。
と思ったら、そのおかげでコントロールが良くなり、大会で優勝する強豪チームになったという逸話もあります…!なんか色々びっくりです(笑)
ガイドの内田さんより貴重なお話を伺いまして、続いては第2見学広場へ移動します。
第2見学広場では、三菱の総合事務所と第二竪坑口桟橋跡が見学できます。
こちらの第二竪坑口桟橋跡は、炭鉱員の仕事場である地下深くの炭鉱への入口です。
地下600mへ秒速8mというスピードで落下。気温47度、湿度90〜100%という炭鉱内に1日8時間という過酷な環境で働いていた炭鉱員。
自力で階段を降りることのできない方も多く、帰ってくる度に命の大切さを実感していたことのことです。
ガイドの内田さんからも、
「今私たちの生活があるのは、軍艦島をはじめとした産業革命期を支えてくれた炭鉱員の皆さんがいてくれたから。
多くの皆さんに、そういった方々がいたこと、亡くなっていった方々に感謝を伝えるきっかけになればと思いガイドをしています」
という強い想いを伺えました。
続いて、軍艦島の南〜西側にかけた堤防沿いを歩き、第3見学広場へ向かいます。
ここでは、軍艦島の代表的な建物であり、日本の建築史に残る貴重な建築物を間近で見ることができます。
日本最古のRC構造アパートとなる30号棟。1916年の完成から100年以上が経ち、老朽化はしていますが今もこの場に建ち続けています。
ただ、他の建物もそうですが、実際はいつ崩れてもおかしくない状況とのことです。
採掘の本格化(1890年)から閉山(1974年)まで84年間。
閉山(1974年)から現在(2019年)まで45年間。
人が作り上げたものが人の手を離れることでどう変化していくのか。この先も続く軍艦島の歴史の中でも、興味深い視点だと感じました。
軍艦島の見学は南側の一部に限られています。約一時間の上陸ですが、それでも見どころやエピソードなどは数多く、充実したツアーとなっていました。
何より、日本の歴史を支えてきたこの場所へ実際に上陸してその空気を感じることができたのは、とても貴重な経験だったと感じています。
軍艦島はこれからも歴史を紡いでいきます。そこには崩壊という未来が待っているかもしれませんが、それ以上に、この島が刻んできた歴史や文化を後世に伝えるという使命もあるのではないでしょうか。
その一端を当サイトでも担えることができればと思います。
また、今回取材や情報提供への協力を快く引き受けてくださった軍艦島コンシェルジュさんも、軍艦島をはじめとした日本の産業革命遺産を後世に伝えるべく、様々な試みや活動を行っています。
その最たる例が軍艦島デジタルミュージアム。軍艦島と日本産業の歴史を伝えるべき若い世代への発信のため、デジタル技術を用いた革新的なミュージアムを設立しています。
また、老朽化と崩壊が進む軍艦島の現在を知ることができるのも大きな特徴。今後、世界遺産センターの役割を担うであろう期待の大きいミュージアムです。
取材協力
軍艦島デジタルミュージアム
軍艦島デジタルミュージアム
軍艦島の歴史と文化を、デジタル技術を駆使して伝える新感覚のミュージアム。島民の生活や噂の真相を知れるのはもちろん、その多くが立ち入り禁止区域となっている軍艦島をバーチャル体験できるのが大きな魅力です。
軍艦島以上に軍艦島を知れるデジタルミュージアム。ツアーに行く際にはぜひ立ち寄ってみることをおすすめします。
海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績