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軍艦島への交通手段として、第一線で75年に渡り活躍してきた「夕顔丸」。地形的に港の建設が難しい軍艦島に住む人々の足になりました。
ここでは、軍艦島への交通手段と三菱社の社船「夕顔丸」についてお伝えします。
あらゆる生活物資の供給において、船での輸送が必要不可欠であった軍艦島。そのため、石炭の積み込みは初期から鉄骨アームを使用していました。しかし、島民の移動は船しかないため、交通手段の歴史はさまざまに変化します。
初期の頃は、護岸に沿って設置された斜路に小船で直に着眼したり、漁村に見られるような斜路の船揚げ場を作って停泊していました。
1887年に「夕顔丸」が進水しますが、海の上で「はしけ」に乗りかえて岸壁の斜路から上陸する形は変わりませんでした。クレーン式上陸桟橋ができると、はしけから桟橋を通り上陸が可能になります。しかし、強風や雨など「時化」の日は、直接桟橋に上がることができず、縄梯子を使って上陸。島への上陸はまさに命懸けだったのです。
鉄船は、夕顔丸のほか、野母商船が長崎港より、伊王島、高島を経由して端島に至る航路を運行していました。1970年の時点では1日12往復、長崎までの所要時間は50分です。
端島の人々の足である定期船には「せい丸」「つや丸」「夕顔丸」の3隻がありました。中でも、島の人々に愛されたのが三菱所有の定期船「夕顔丸」。
「夕顔丸」は1887年2月21日、三菱長崎造船所で鉄船の第一号船として建造されました。夕顔丸が、長崎港―高島―端島間の就航を始めたのは1931年のこと。当初は長崎港が始点でしたが、1943年頃には高島に移り、1日3便が運航されました。
「夕顔丸」は、75年間の長きにわたり運航を続けますが、1962年3月31日に廃船。夕顔丸に対して特別な愛情を持っていた島の人々は、最後の就航を見届けようと一堂に港に集まりました。
海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績