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軍艦島は、2015年世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つに登録されました。登録までには、NPO法人など多くの人が関わり、さまざまな障壁を乗り越えます。ここでは、軍艦島の世界遺産登録への道のりと関係者について紹介します。
2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録されました。
文化遺産は、西洋から非西洋世界への技術移転と日本の伝統文化を融合させ、1850年代〜1910年までに急速な発展をとげた炭鉱、鉄鋼業、造船業に関するもの。稼働遺産を含む世界遺産は、日本では初めてとなりました。
世界遺産には、軍艦島(端島)単体で登録されたわけではありません。遺産の構成資産の一つとして、世界文化遺産に登録されました。世界遺産は、長崎・山口・福岡・佐賀・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県23の資産によって構成されています。
長崎では軍艦島のほかに、高島炭鉱や三菱長崎造船所、小菅修船場跡、長崎造船所 旧木型場、旧グラバー住宅などが同時に登録されています。県外では、山口県萩市の松下村塾や鹿児島県の旧集成館、福岡県の三池炭鉱、佐賀県の三重津海軍所跡など。
また、軍艦島は島全体の登録ではなく、島の約2割ほど。登録された場所は、島の中心部、廃墟建物の地下にある明治時代の石炭の掘削坑。大正・昭和にも別の掘削坑が開削されましたが、こちらは世界遺産ではありません。
残りの8割近くは「緩衝地帯(バッファーゾーン)」と呼ばれ、世界遺産の核心部分を保護するため周囲に巡らされた区域。緩衝地帯は世界遺産ではなく、保護の義務が課されず、多くは崩壊したままです。また、廃墟と呼ばれる軍艦島の建物の大半は、大正・昭和時代に建てられたもの。1910年=明治のものではないため、世界遺産には登録されていません。
20世紀まで国内に数多く残されていた産業の遺構は、世紀末から21世紀にかけて改定の動きが急速化します。改定をきっかけに、各界の産業遺構に精通した専門家は保存と活用を唱えはじめました。
重伝建の町並みを持つ山口県萩市や九州の自治体を中心に、近代化産業遺産の啓発運動が行われました。2005年7月には、鹿児島県が近代化産業遺産に関するシンポジウムを開きます。2006年6月、九州地方知事会で「九州近代化産業遺産の保存・活用」を各県が連携して取り組む政策テーマに決定し、九州全体の取り組みへと広がりました。
遺産群に名前を連ねる他の産業遺構の多くは、すでに地元の保存会などによって保存活用されていました。これまで保存活動が行われていなかった軍艦島は、肩を借りた参入となります。2003年には、NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」が発足します。
※数年で全理事たちが解散、その当時の副理事長が仲間たちと協力して活動し、軍艦島を世界遺産登録リストへ押し上げた
2006年8月、経済産業省が世界遺産への登録を支援することを決定しました。軍艦島を含めた明治期の産業施設を地域の観光資源に生かしてもらうためです。そして、2008年9月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産暫定リストに追加記載されることが決定。2009年1月にリスト入りを果たします。
海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績