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コンクリートに囲まれた軍艦島は、土地の狭さから建物が複雑に入り組んでいました。その姿から「空中都市(迷宮)」と称される軍艦島の住宅構造についてご紹介します。
軍艦島の建物は、縦に伸びた建物とそれをつなぐ階段が多く見られます。縦横無尽に張り巡らされた姿が空中都市、または迷宮と呼ばれています。当時は、島内の端から端まで雨の日も濡れずに移動できたとまで言われるほど。狭い敷地をより有効に使うための工夫が各所で施されています。
軍艦島で2番目のマンモスアパート「日給社宅」。建物の横にあるコンクリート製の33段の階段を登れば、集合住宅の4階に到達できます。約30度の急勾配の階段が頂上の神社まで続いていたことから、「地獄段」と呼ばれています。
50段ある階段は、岩礁最北部の高さを一直線につないでいます。階段の片側には大規模な擁壁が築かれ、明治から昭和にかけて擁壁の上には小学校がありました。
また、階段下部の踊り場の右側はちょっとした広場になっており、 子供達のビー玉場になっていました。
独身寮である「67号棟」の建物外部の階段。上下の移動と左右の移動を可能にするため、Xの字のような特徴的な形をしています。
軍艦島には、日本初の「屋上庭園」があると言われています。1910年頃、島内のほぼ中央に建つ旧14号棟に存在します。軍艦島では限られた敷地のため、屋上に畑や田んぼを作っていたのです。
1916年に日本初の鉄筋コンクリート・アパート(30号棟)が建設され、以降建設されたほとんどの建物に屋上庭園が造られました。利用方法は、公共通路、子どもの遊び場、物干し場、花壇などさまざま。
さらに1966年、日給社宅の屋上に「青空庭園」が造られます。コンクリートに囲まれた島内の子どもたちは緑を知らなかったので、子どもたちの学校教育の一環に使われました。
海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績