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娯楽

島内には、島民の心を癒す色々な娯楽施設がありました。もちろん限られたスペースなので、軍艦島には本格的な娯楽施設を建設する余裕はありません。しかし、ちょっとした息抜きには十分のものができ上がります。

軍艦島での娯楽は炭鉱員の生きがいだった

炭鉱員
写真提供:軍艦島デジタルミュージアム
https://www.gunkanjima-museum.jp/

限られた狭い空間で多くの人々が暮らしていた端島では、娯楽はとても大切なものでした。

常に危険と隣り合わせの過酷な炭鉱員にとって、娯楽は生きる喜びだったのかもしれません。

軍艦島にあった娯楽施設は?

映画館

昭和館(映画館)
昭和館(映画館)写真提供:軍艦島デジタルミュージアム
https://www.gunkanjima-museum.jp/

軍艦島で最も人気があった娯楽は映画でした。1927年に建設された唯一の映画館「昭和館」は、無声映画を解説する弁士専用の台やオーケストラピットまで備えるほど本格的です。

毎月30本以上の映画が上映され、各家庭には毎月上映映画のプログラムが配布されるほど連日超満員の盛況ぶり。映画を見ることを楽しみにしていた島民のため、海が大荒れの日も映画フィルムだけは陸揚げされたと聞きます。

ですが、テレビの普及とともに人気は衰退。閉山時には倉庫になるなど悲しい最期を迎えます。

その他娯楽施設(ビリヤード場、卓球場など)

映画以外でも、ビリヤード場や卓球場、碁会所、雀荘などの娯楽施設がありました。特に日給社宅1階は古くからあり、閉山時には職員倶楽部内にも造られています。

スナックや遊郭も…

軍艦島には、南部寄りの職員アパート25棟の一階に「白水苑」と呼ばれる唯一のスナックがありました。かつては、町役場の支所や賃金支払い窓口の場所。1966年に2階にあった旅館「清風荘」の喫茶部門として、スナックに改装されました。

しかし、昭和1967年に坑道の深部で火災が発生。建物は、消火のためにやむなく水没させなくてはなりませんでした。その後、新しい炭素を求めて約1年ほど硬ばかりを掘り出す時代に。三菱は、少しでも人口流出を防ぐために、スナックを経営し、労働力を確保しました。

ちなみに、軍艦島には大正時代から遊郭がありました。昭和では、島南部の商店街に3軒の遊郭があったことがわかっています。

海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!

※平成23年度~平成30年度の上陸実績

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