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池島炭鉱

もう一つの軍艦島と呼ばれた池島

池島は、長崎県西彼杵半島にある外海町の西7kmの海上、角力灘に位置します。東西1.5km、南北1km、周囲4km、面積が約0.9km²と小さな島。島内には2001年の閉山まで、九州で最後まで残った「池島炭鉱」がありました。

閉山から約18年。島全体が廃墟化を続けている、池島。現在は、「第二の軍艦島」とも呼ばれています。

池島と炭鉱の歴史

炭鉱ができるまでの池島は、半農半漁の島でした。また、島にはその名の通り大きな池があり、池は、神巧皇后が容姿を映した伝説から「鏡ヶ池」と呼ばれ、池のある島「池島」となったと言われています。現在鏡ケ池は、炭鉱の開発にともない切り開かれ、人工港の池島港になっています。

戦後間もない1952年から、松島炭鉱(株)の用地買収により、海底炭鉱の開発が進みます。池島炭鉱の営業出炭の開始は1959年。国内では最も新しい炭鉱です。

石炭産業がエネルギー革命の波にのまれ、斜陽になっていく中、池島炭鉱はその流れに逆らうように急速に成長しました。坑道総延長距離が約90kmの巨大海底炭鉱へと発展したのです。

1970年の最盛期は、人口は、炭鉱ができる以前の1951年頃には350人程度でしたが、1971年には7,500人以上に膨れ上がります。軍艦島と同じように高層アパートが立ち並び、工場、病院、学校、団地も続々と建設されます。

2001年まで操業していた炭鉱島

池島炭鉱は、とても優れた炭質・採掘条件が揃った炭鉱として、最後まで生き残りを図り操業を続けます。しかしながら、低価格の外国炭におされ、合理化による人員削減や、賃金カットなど対策せざる状況に。結果時代の流れに及ばず、2001年に閉山しました。

2001年の閉山時の人口は約2700人。閉鉱と同時に島民の島離れは加速し、人口は147人(2016年4月末時点)にまで減少しました。

閉山後は、ベトナムやインドネシアからの炭鉱技術者の研修所に活用されています。現在もほとんどの施設が残存。さらに、島内は予約見学も可能です。

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※平成23年度~平成30年度の上陸実績

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