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石炭の採掘場だった軍艦島は、人口が増え続けて人口密度は世界最高を記録しました。炭鉱での労働がきつかった変わりに、島民は豊かであり特殊な生活を送っていました。
島で生活する人々は、島の位置から悩まされた台風に立ち向かいながら、協力し合います。ここでは、軍艦島での生活について紹介します。
軍艦島では、石炭の出炭量の増加に比例するように、島の人口も増えていきました。炭鉱労働者と家族、三菱から派遣される社員などの人口も増加し、最盛期には島内に約5,300人が暮らしていたのです。
人口が増えると同時に、高層アパートが立ち並びます。ただでさえ小さな島に炭鉱施設と都市が共存したため、わずか200m四方の居住エリアに島民が集中。人口密度は当時の東京都区部の9倍にまで到達し、この記録は今でも破られていません。
三菱の私有地になった軍艦島では、住居は社宅や寮の扱いでした。そのため、島民は高収入が約束されている上に、生活費が安く済んだことから、裕福な暮らしを楽しみます。
例えば、昭和30年代の家電ブームの時は、既に100%電化生活と恵まれた生活を送っていました。また、それを証明するのがテレビの普及率。当時のテレビの販売価格は3〜6万円台にも関わらず、1958(昭和33)年には、ほぼ100%に到達しています。同時期の平均月収の約1〜2カ月分なので、炭鉱の給料は高額でした。
操業時の軍艦島は、コンクリート建築物や人工地盤に囲まれていたため、「緑なき島」と呼ばれています。島民は緑化運動のあおりを受け、教育の一環でコンクリート・アパートの屋上に植物など緑を運び、「屋上庭園」を作ります。
現在はよく聞く「屋上緑化」という言葉ですが、何十年も前の軍艦島で実施されていたというのは驚きですね。
端島小・中学校は、1893(明治26)年に三菱社の私立端島小学校として発足します。公立へと移管した時の学校は、国内最高層の7階建て公立小中学校でした。
学校の設備は素晴らしく、講堂をはじめ図書館や防音装置つきの音楽室までが完備されていたほか、教室や廊下の床はアルタイル貼りで、音がしませんでした。さらに、給食の導入は遅かったものの、島内唯一の給食専用エレベーターまで備え付けられていました。
軍艦島には、高校と墓地以外、生活に必要な施設は揃っていました。さらに、公共施設、病院、小中学校、保育園、プール、寺社、旅館、パチンコホール、麻雀店、生協販売店、個人商店、理容・美容室と、さまざまな施設が充実しています。
そして、病院や学校など単独で成立している施設を除いて、共有施設のほとんどが鉱員社宅の建物に組み込まれていました。
軍艦島の閉山時の総面積は6万3千m²ですが、約2万5千m²は炭鉱施設の敷地。残り約3万8千m²の中に、最盛期は約5300人の島民が住んでいました。軍艦島は、狭い敷地の中に多くの施設がひしめき合った、「ナノシティ」になったのです。
島内には、炭鉱マン向けにちょっとした息抜きのためのパチンコ屋やビリヤード場など、色々な娯楽施設がありました。中でも映画は、映画を楽しみにしている島民のため、海が荒れた「大時化」の日も、映画フィルムだけは陸揚げされたといいます。
また軍艦島には、大衆的な酒場や遊郭も存在しました。特に25号棟の1階にあったスナックバー「白水苑」はお酒だけでなく、ダンスも楽しむことができ、大人たちの社交場として愛されたのです。
東シナ海に囲まれた軍艦島には、時々猛烈な台風が襲いかかりました。中でも1956(昭和31)年の台風9号と、1959(昭和34)年の台風14号は、島全体に甚大な被害をもたらしました。台風が原因で事業が失敗したことも少なくありません。
島民は、頑丈な防潮階や防潮棟の建設、排水対策とさまざまな工夫を施しました。軍艦島の周囲を堤防や擁壁が囲んでいる理由は、台風や波浪などから住居を救うための島民の工夫から生まれたためです。
軍艦島には、1918年に建設された日給社宅の1階など、岩礁に穿かれた防空壕が多く造られました。防空壕の跡は、今でも島内の至るところに残っています。
戦時中のエピソードでは、1945年6月、停泊していた石炭運搬船を米軍の潜水艦「ティランテ」が魚雷攻撃したことが有名です。鉄を大量に必要とする戦争にとって、石炭産業は切り離せない重要な産業でした。そのため、米軍の潜水艦も石炭の運搬船を攻撃することで少しでも戦果をあげようとしたのでしょう。
また、戦中に建設された大きな建物の壁面は、すべて迷彩塗装が施されていました。とは言うものの、真っ黒のコールタールで縞状に塗装され、現在の迷彩柄とは似ても似つかなかったそうです。
海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!
※平成23年度~平成30年度の上陸実績