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戦争の爪痕

長崎県は、世界でたった2カ所の原爆が落とされた都市の一つ。軍艦島にも戦争の名残が多く残っています。ここでは、軍艦島が受けた戦争の影響を紹介します。

軍艦島と戦争の歴史

軍艦島には、長崎市内と同様、岩礁に穿かれた防空壕の跡が至るところに残っています。大正時代に建設された日給社宅の1階に隣接する岩礁は、コンクリートで塞がれた防空壕の跡が。また、島中央の岩礁北端の麓に、ほとんど埋没した状態で防空壕の跡が残されています。

戦時中のエピソード

戦時中のエピソードは、停泊していた石炭運搬船を米軍の潜水艦「ティランテ」が魚雷攻撃したものが有名です。潜水艦の記録によると、魚雷は3発発射され、1発目が命中、2発目は外れ、3発目が再び命中。石炭運搬船「白寿丸」が沈没したとしています。

米軍の潜水艦は、すぐに潜行して逃走を図りますが、うまく潜行できず、浮上したまま推進。この時日本側は、対岸の野母半島にあった高射砲から攻撃したものの、届きませんでした。

軍艦島に今も残される戦争の爪痕

防空壕

軍艦島には、1918年に建設された日給社宅の1階など、岩礁に穿かれた防空壕が多く造られました。

岩礁に穿かれたたくさん穴は、岩礁中央を南北に縦断する50mほどのトンネルによって全部つながっています。北の外れは防空壕で、南の外れは30号棟近くに通じていると言います。

迷彩塗装

戦中に建設された大きな建物の壁面は、すべて迷彩塗装が施されました。とは言うものの、真っ黒のコールタールで縞状に塗装され、現在の迷彩柄とは似ても似つかないもの。しかし、軍艦島で戦争を体験した元島民は、焼夷弾が降り注ぐ夜は迷彩塗装など全く役に立たなかったそうです。

日給社宅屋上の砲弾

大正時代に建設された日給社宅の屋上には、砲弾のようなものが今も残っています。かつて神社境内にあった忠魂碑の横に建っていたモニュメントだと言われていますが、神社の改修時に改めて設置されることはありませんでした。そのため、なぜこの場所に残されたかは分からないままです。

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※平成23年度~平成30年度の上陸実績

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