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初期 ~はじまり~

江戸時代後期~明治時代の軍艦島

1810年 石炭の発見と採掘のはじまり

1810年、軍艦島では、岩礁に露出した石炭を漁師が発見したことをきっかけに採炭が始まります。しかし、江戸時代の江戸時代の終わりまでは、漁民が漁業の傍らに「磯掘り」と称し、ごく小規模に露出炭を採炭する程度であったと言います。

1887年、深掘出身の渡辺元により、軍艦島で最初の竪坑である36mの「第一竪坑」が切り開かれました。同時に、軍艦島の原型である石垣を築いた機械置き場、東の浜を堤防で囲った貯炭場ができあがります。

1890年 三菱の買収と採掘の本格化

明治時代の軍艦島
明治時代の軍艦島画像引用元:長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」
https://www.at-nagasaki.jp/gunkan/museum/

その後、1890年の三菱社が旧鍋島藩藩主・鍋島孫六郎から端島炭坑を10万円で買収したことを受け、高島の支坑として同社経営となります。

1891年、本格的に石炭の採掘が開始されました。譲渡後は1895年の第二竪坑と1896年の第三竪坑開削のため、端島炭鉱の出炭量は高島炭鉱を抜くまでに成長。軍艦島は、閉山まで良質の石炭を産出し続けました。採掘された石炭は、福岡県北九州市の八幡製鉄所などの原料炭に使われます。

この時期、同社の社船「夕顔丸」の就航、製塩工場建設に伴う蒸留水機の設置、島の拡張工事など、炭鉱としての設備を整えていきます。1897年からは、島の人口増加に伴い、周辺が段階的に埋め立てられる拡張工事も進められました。

1890年代には、隣の高島炭鉱における、労働者を納屋と呼ばれる合宿所に収容し、請負業者の納屋頭や小頭の日常監視による身分的拘束の下に半強制的な労働に従事させた「納屋制度」が社会問題となっていました。端島炭坑でも同様の制度が敷かれ、端島でも労働争議がたびたび起こります。納屋制度の廃止は、高島よりも遅かったですが、段階的に廃止され、全ての労働者は三菱の直轄となりました。

軍艦島の歴史
中期 ~最盛期~へ続く

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※平成23年度~平成30年度の上陸実績

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