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岸壁

軍艦島は、大きな岩礁と周囲に点在する瀬からなる小さな島。ですが、炭鉱の開発とともに、人工地盤よる拡張工事が進められました。

小さな岩礁から拡張された軍艦島

軍艦島の埋立の歴史
軍艦島の埋立の歴史画像引用元:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/端島_(長崎県)

元々は岩礁による小さな島であった軍艦島。1893年以降、40年に渡って計6回の埋め立て・拡張された島であること、その過程について解説します。

軍艦島は、敷地の大半が鉱場であり居住地がとても狭かったため、人口が増えていく過程で高層階のアパートが建設されていきました。同時に、居住地を増やすために実施された拡張工事は、最終的に約3倍もの面積に広がります。明治の後期には、既に現在の形にほぼ近い、半人工の島になりました。

人工地盤は、元から存在した岩礁や瀬配置を利用する形で行われました。これは、海流の激しい東シナ海に面した海域で、瀬や岩礁以外の本来の海底に基礎から構築することが難しかったためと言われています。

拡張のための土砂は、近隣の山土が使われています。海中の基礎は、水中での接着度が高い甘皮と呼ばれる接合剤を使って凝固された石材によって造られました。

城壁と呼ばれる軍艦島の岸壁

軍艦島の岸壁
軍艦島の岸壁

まるで城壁のような岸壁を要する軍艦島。周囲を東シナ海に囲まれているため、台風などによる波の被害を頻繁に受けていました。明治初期には、台風で炭鉱施設や住宅がすべて流出することが繰り返されます。その都度島の経営体が変わるため、波の猛威は想像を絶するものでした。島民は、島を守るために島の拡張と合わせて、「岸壁」を築き上げます

明治時代に建造された、「天川工法」と呼ばれる伝統的な石組で組まれた護岸。コンクリートで補強されて現代まで使われていますが、波が激しいためコンクリートが度々剥がれ、補強工事が行われていました。

天川工法で作られた堤防
天川工法で作られた堤防

ですが、岸壁により守られたかに見えた軍艦島ではありますが、その反面で船での上陸が困難になった一面もありました。特に、外洋に面する北西側は、15m近くの高さで岸壁が築かれたため、台風以外の問題が島民を襲います。時化の時は、岸壁の上に建つ4・5階建ての建物すら乗り越え、上から潮が降る「塩降街」となりました。

海の状況や悪天候で上陸できないことも多い中、平均上陸率94.7%(※)と高い上陸率を誇る軍艦島コンシェルジュさん協力のもと、軍艦島の上陸ツアーに参加したレポートを紹介しています。ツアーの見どころはもちろん、軍艦島の魅力を余すところなくお届けします!

※平成23年度~平成30年度の上陸実績

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